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銀座六丁目すずらん通り(SUZURAN STREET)を
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銀座コラム vol.7

東京オリンピックから
高度経済成長へ

(写真左)昭和37年頃の夜の広告塔(中央区立京橋図書館所蔵)、(写真右)現在のみゆき通り

昭和39年、東京で初めてのオリンピックが開催されました。高度経済成長政策も推進され、日本が国際社会の中でさらに発展していこうとする時期でした。ちょうどこの頃銀座では、「みゆき族」と呼ばれるおしゃれな若者文化が流行。男性は、アイビールックを着崩して、つんつるてんのコットンパンツやバミューダショーツ、女性は頭にハンカチを巻き、ロングスカートにリボンベルトが特徴的なファッションで、VANのロゴ入り紙袋を持つのが定番でした。こうした出で立ちで銀座のみゆき通り近辺に出没していたので、「みゆき族」と呼ばれました。

鍛冶橋交差点-東京オリンピック聖火リレー-(中央区立京橋図書館所蔵)

東京五輪も終わって少しした昭和42年、明治時代から多くの人に親しまれた銀座の象徴のひとつである都電・銀座線が廃止され、当時は大きなニュースとして取り上げられました。
これを機に道路を改修。電柱や電線をできるかぎり地下に収め、歩道の幅を広げ、街路樹を植え替え、街灯を新しくデザインし、自動車社会に適応した近代的な “おしゃれな通り”に生まれ変わりました。

銀座通り-昭和47年の歩行者天国-(中央区立京橋図書館所蔵)

昭和45年8月2日の日曜日には、銀座通りで初めての歩行者天国が実施されました。これは一転、交通事故の増加や自動車の排気ガスによる環境汚染への配慮、歩行者保護の観点からスタートしたものです。真夏の炎天下ということもあり、ビーチパラソルやビニール製のプールなども登場したり、歩行者天国でお弁当を広げる人たちもいて、普段の日曜日の10倍の人出で賑わったそうです。これをきっかけに、銀座の歩行者天国は、毎週末と休日に行われるようになり、8月の第一日曜日は「ホリデープロムナード」として、毎年大きなイベントが行われています。