1603年、徳川家康が江戸幕府を開いた後、駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座に移しました。そのことから通称として銀座と呼ばれるようになりました。また、金座と呼ばれた両替商も軒を並べていました。メイン通りでもある現在の銀座通りの5丁目から6丁目あたりには、大きな呉服店が並び、日本橋に匹敵するほど、たいへんな賑わいを見せていたといいます。
しかし、明治5年の大火を機に、西洋風のレンガの街に生まれ変わることになります。ガス灯がともされ、桜や松の街路樹が植えられ、道路も碁盤の目のように整備されました。これが現在の銀座の街の基になっているのです。また、新橋-横浜間をつなぐ日本初の鉄道ができたのもこの頃で、文明開化の呼び声とともに銀座には西欧からの輸入品を中心に洋服店、洋食店、パン屋、靴屋、時計店など、最先端の店が次々とできていきました。
その後、大正の関東大震災や昭和の第二次世界大戦により、銀座の街の大半を焼失するような事態になりましたが、そのたびに復興し、さらなる発展をとげてきました。松坂屋や松屋、三越など、デパートの進出。劇場や高級専門店、カフェ、バーなど華やかなお店もたくさんできて、通りには、モボ、モガ(モダンボーイ、モダンガール)達が闊歩するようになり、活況を取り戻しました。
近年では、各所で再開発が行われ大型の新しい複合商業施設が数多くできるとともに、海外の高級ブランド店が、目抜き通りに競うように出店するようになってきました。そして、インバウンドが叫ばれる現在は、世界中から数多くの旅行者がやってくるようになりました。