gin-suzu6

銀座六丁目すずらん通り(SUZURAN STREET)を
発信するウェブマガジン

銀座コラム vol.3

明治時代の銀座を探る

(写真左)新橋鉄道館(中央区立京橋図書館所蔵)(写真右)旧新橋停車場 鉄道歴史展示室

前回は、幕末(江戸時代末期)のお話でしたが、今回は明治に入ってからのお話です。武家社会が終わり、新しい時代になった銀座では、日本中がそうであったように、やはりここでも大変な出来事が次々と起こります。
その第一弾が「銀座大火」という大火災で、1872年4月3日(旧暦 明治5年2月26日)、和田倉門内の旧会津藩邸から出火した火災は、強風にあおられ銀座・丸の内・築地一帯を焼き払いました。これをきっかけに政府、および東京府は、耐火構造に優れた煉瓦作りの街を作ることを決意。設計は、イギリス人技師トーマス・ウォートルスに委ねられ、数年がかりで美しい街並みができあがりました。煉瓦街は、まず銀座通り沿いに完成し、街路樹、ガス灯、アーケードなども作られました。実はこれらの様子が、江戸東京博物館で見ることができます。

第一大区京橋商店煉瓦石繁栄之図(中央区立京橋図書館所蔵)

また、さらなる大きな出来事として、同年10月14日(旧暦 明治5年9月12日)、新橋―横浜間で日本初の鉄道が開業されました。新橋と銀座は目と鼻の先。洋服や時計、鞄、家具、あるいは洋食、牛鍋など輸入商品や目新しい商品を扱う店舗が次々とできて、銀座のさらなる発展に追い風になりました。福沢諭吉が「文明開化」という言葉で、この時代を言い表したのは有名な話です。同時に、新聞社や雑誌社、広告会社が銀座に進出しはじめ、情報発信地として発展したのも特徴のひとつです。政治の世界に目を向ければ、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らが、岩倉使節団として欧米へ出向いていた時期でもありました。

朝野新聞社(中央区立京橋図書館所蔵)