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銀座六丁目すずらん通り(SUZURAN STREET)を
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銀座コラム vol.6

瓦礫の街から
近未来の銀座へ

(写真左)[高速道路建設工事] ―晴海通り数寄屋橋付近―(中央区立京橋図書館所蔵)と(写真右)現数寄屋橋交差点付近

終戦を迎えた昭和20年の夏、賑わいを見せていた銀座の街は焼け野原となっていました。戦後の動乱期であった銀座。悪質な闇商人から街を守るべく、銀座商店街の人々が復興へ向けて大きな一歩を踏み出し、昭和21年4月には約180店舗もの露店が軒を連ねたといいます。その傍らで、街は空襲による瓦礫やゴミに悩まされていました。そこで注目したのが、既にゴミで溢れていた河川を埋め立てること。当時の東京には幾つもの川が流れており、河川舟運が盛んな街でした。

京橋(中央区立京橋図書館所蔵)

その様子は、昭和20年代後半から30年代はじめに上映された映画などでも垣間見ることができます。銀ブラを楽しみ、そして水辺でボート遊び。こうした風景が幾度となく登場します。当時、放送されていたラジオドラマで、後に映画として人気を博した「君の名は(主演:岸恵子、佐田啓二)」も外堀を渡る数寄屋橋上が舞台として登場します。

[高速道路建設工事] ―数寄屋橋付近―(中央区立京橋図書館所蔵)

やがて荒れ果てた戦後の銀座では、かつての華やぎを取り戻そうと川や道路の一斉整備がはじまりました。同時に、時代は経済成長期へと移り変わり、交通手段は自動車中心へ。
川の両岸を結んでいた橋(京橋、新橋、数寄屋橋)は交差点の名称として残り、現在に至っています。昭和32年には営団地下鉄丸ノ内線(現銀座線)が開通し、その10年後には銀座の風物詩であった都電が廃線となり、銀座の街はますます近代化が進んでいきます。